三百余年の長きに渡り、今も醒めぬ酒造りの夢… ブームの甘酒に栄養豊富な富有柿を加え、独自の健康飲料を開発

合資会社 若竹屋酒造場
福岡県久留米市田主丸町田主丸706
■代表者: 林田 浩暢
■創業: 元禄12年(※詳細は不明)
■計画承認日: 平成29年10月31日
 
■TEL: 0943-72-2175

初代から14代目当主まで。代々伝わる若竹屋スピリット

全国に酒造りが広まった元禄時代、ここ田主丸でも酒造りの魅力に取り憑かれた男がいた。その男こそ、「若竹屋酒造場」の初代・若竹屋伝兵衛。ハイリスク・ハイリターンと言われる酒造りの世界に身を投じ、今日の若竹屋の礎を築いた。
酒造りは免許制ゆえ高い収益性を誇ったが、その分リスクも高かった。1年のうち、仕込み期間はわずか3カ月。仕込みが失敗すれば、1年分の利益が吹き飛ぶ。さらに、その3カ月に蔵人や米を集中的に確保しなければならず、酒造りは大地主などの資本家が手掛けるものと決まっていた。
そんな元禄12年、 初代・若竹屋伝兵衛は情熱だけを持って、酒造りを開始した。「うちの初代は一介の商人でした。借金をして蔵を建て、借金をして人を雇い、借金をして米を買っていたそうです」と語るのは、現当主である林田浩暢さん。林田さんは酒造りを通じて、先人の叡智に思いを馳せる。「日本人の麹の使い方や作り方は、ものすごく合理的かつ精緻で、無駄がない。発酵や培養といった概念のない時代に、なぜ酒を造れたのか。調べれば調べるほど、分からないことだらけです」。代々の当主に洩れず、現当主もまた、酒造りの魅力に取り憑かれている。
創業318年の老舗を受け継ぐ14代目だが、伝統によるプレッシャーは感じない。そこには、「若竹屋は先祖より受け継ぎし商いにあらず 子孫より預かりしものなり」という林田家の家訓がある。正しい姿勢で酒を造り、より良い姿で次世代に還していくという、代々伝わる哲学だ。
「若竹屋」は筑後地方で最も古い蔵元。創業の翌年に建てられた「元禄蔵」は、今も往時の姿で酒造りを見守っている。これまで事業が存続してきたのは、代々の当主が刻々と変わる客のニーズを汲み取り、変革してきたからに他ならない。ゆえに、過ぎ去った伝統は気にならない。実直に“今”と向き合い、正しい姿勢で酒造りに邁進する。

豊かな水資源を背景に、今も続く精魂込めた酒造り

「若竹屋」の酒造りを支える、耳納の銘水
日本を代表する酒処はすべて、豊かな水資源に恵まれている。しかし長い歴史の中で、水質の変化や水量の減少に見舞われることも多い。
「若竹屋」のように、創業以来300年以上も同じ井戸を使い続ける蔵は、全国的にも珍しい。一升の酒を造るために使う水は、およそ200リットル。質の高い水を長期間、無尽蔵に供給できる水脈を掘り当てたのは、ご先祖さまの慧眼だ。
「若竹屋」が使うのは、水縄水系の水。耳納連山という巨大なろ過器を通した水は、良質なミネラル分を豊富に含む。天水が1m地中に浸透するまで約1年。若竹屋のポンプは、地下80mの深さにある。つまり80年かけてろ過された伏流水が、「若竹屋」の酒造りを支えている。

ブームにあらず!若竹屋の甘酒には半世紀の歴史あり
数年前から火がついた甘酒ブームは、いまだ衰える気配がない。しかし「若竹屋」が甘酒を作ったのは、昭和40年。米と麹のみで、真っ白な甘酒を作りあげた。
通常、糖は加熱すると褐変するため、甘酒はやや黄色味がかった色になる。しかし若竹屋では0.1℃単位で温度を管理し、雪のような白さを実現した。その工程は簡単なものではなく、納得のいく甘酒ができるまで約10年。昨今のブームに乗り、一朝一夕に作られた甘酒とは一線を画す。
この繊細な温度管理は、見た目だけではなく味わいにも大きく貢献。上質な和菓子のような、品の良い甘さが味わえる。




経営革新計画を策定してみようと思ったきっかけは?

田主丸でも生産量の多い富有柿には、毎年たくさんの廃棄がでます。「大量廃棄される柿をどうにかしたい」と、先々代である祖父の時代から言っていました。実際に、祖父は柿の葉茶を作り、父は柿ワインを作りました。
それで今回、柿と甘酒を組み合わせた商品を開発しようと思いました。カリウムなどの機能性成分が豊富な柿と、健康・美容飲料として大人気の甘酒を組み合わせたら、独自の健康飲料ができると考えたんです。

経営革新計画の内容

Q. 新商品の概要と、その新規性を教えてください。
今回の経営革新事業は、「地場産富有柿を原料とした柿甘酒の開発および生産ラインの強化」です。現在、甘酒は健康・美容飲料として人気です。ネットでも美容・アンチエイジング・スムージーといったキーワードと一緒に検索されているようです。そこで、昔から栄養豊富なことで知られる柿と組み合わせてみようと考えました。
柿甘酒の製造には、「若竹屋」の清酒醸造に基づく米麹製造技術と、系列会社である「巨峰ワイン」が持つ果実酒の醸造技術が必要です。うちにとっては既存の技術の組み合わせですが、他社さんには難しいと思います。柿は普通に搾っても、果汁は取れません。柿のタンパク質を分解してペースト状にするんですが、薬品を使わずペースト状にするには高い技術が必要です。さまざまな果実酒を作る「巨峰ワイン」では、先行して柿ワインの醸造に成功しており、この技術が応用できると考えています。
うちの甘酒は真っ白ですから、柿のキレイな色が出るはずです。去年、小ロットでの製造には成功しているので、今年は大ロットで仕込むことになります。
この事業が成功すれば、1万4100リットルの柿甘酒の醸造で、約3トンの未利用富有柿を有効活用できることになります。廃棄される富有柿を減らし、地域の生産者さんの力になれたらと思っています。

Q. 将来の展望は?
今回、甘酒の生産ラインを強化しました。じつは甘酒ブームのおかげで注文が殺到し、一時期は既存の取引先に2カ月以上のバックオーダーがあり、新規の取引については断らざるをえない状況にあったんです。
品質を保ちつつ大量に生産できる機械ってなかなかないんですが、今回、充填設備をグレードアップできました。今はバックオーダーも解消し、新規の取引も受け付けています。
一時期は販売店さんからうちの商品がなくなったので、「蔵元まで行けば買えますか」と他県からうちに直接お電話をくださるお客さまもいらっしゃいました。
今後も甘酒ブームは続くでしょうから、甘酒の生産ラインを強化できて安心しています。

経営革新計画を策定してみていかがでしたか?

Q. 策定期間中、どんな支援を受けましたか?
経営指導員さんと二人三脚で進めてきて、信頼できるパートナーです。最初の相談からずっと核心をつくような感じで、自分の中にあるものや、本当にやりたいことを引き出してくれました。コーチング力が高いんですよね。種火みたいな人で、こちらに火をつけてくれる。
たくさんの案件を抱えて忙しいだろうに、相談中に絶対によそ見をしないんですよ。他のことに気をとられず、うちの案件に集中してくれる。そういう安心感とか、心強さがありましたね。

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文献にしかない酒を再現!学者肌の先代が遺した大きな功績
先代である父は、清酒業界にさまざまな技術革新をもたらしました。その最たる功績が「日本酒は防腐剤がなくても腐らない」と、エビデンスを添えて学会で発表したこと。昭和40年頃まで日本酒には防腐剤が入っていましたが、父の発表により全国のお酒から防腐剤がなくなりました。
父は発酵工学の博士号を持つ、学者肌の人でした。創業当時の味を再現しようと昔の文献を読み漁り、「若竹屋伝兵衛 馥郁元禄之酒」を完成させた。その文献でたまたま見つけた室町時代の酒にも興味を持ち、国会図書館や朝鮮半島の片田舎まで足を運び…。室町時代の酒を再現した「博多練酒」は、完成までに10年もかかりました。
全国の酒造家が父の教えを乞いに来たほど博学でしたが、何よりも酒造りが好きで、作ることが命。そんな父の姿は、今の私の重要な指針になっています。

酒造りのその先まで…自分たちの商品に責任を持つ
酒には物語があります。従業員一同で号泣した手紙があるんですよ。昔から家族でうちのファンだったという女性からの手紙でした。おばあちゃんが高齢のため嚥下力がなくなり、何も食べられなくなったそうです。流動食として唯一、口にしたのがうちの甘酒だった。おばあちゃんが亡くなる間際、「若竹屋さんによろしくね」とおっしゃったそうです。そんな商品を作れて良かったと、心から思いました。
ある時は「父親が酒乱で小さい頃は苦労した」という女性のお客さまがいらっしゃいました。お酒を飲まない人と結婚し、食卓にお酒を並べたことは一度もないという方でした。どこかで僕の講演を聞いてくれて、お祝い事の際に、初めてご主人と2人でうちの酒で乾杯してくれたんです。「本当に美味しかった」と言っていただきました。「本当に美味しくて、あんなに大嫌いだった父の気持ちが少しわかりました」と。それで少しだけ、お父さまのことが許せたそうです。
本当に、酒には特別な物語がたくさんあります。我々は酒を造るだけで、その先でどんな飲まれ方をされるかまでは分かりません。刃物で人が害されても、刃物屋さんの責任じゃありませんよね。でも、本当にそれで良いのか。我々は造るだけで、その先に責任はないのかと考えたんです。そこで「うちはちゃんと責任を持とう」と、従業員に話しました。「うちでは責任を持てる酒を作ろう」と。
うちの酒で、人を不幸にするようなことはしたくない。溺れるように飲む酒ではなく、嬉しい時やお祝いの時に、大事な人と飲んでいただくような酒を作りたいと思っています。

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